解説

左上から、Maybe,maybeのポスターにもなった写真。この本の写真は以後、プライベートのポストカードやカレンダーにずっとつかっていました。歴代のスタッフが何枚プリントしたことでしょう。焼きは変わっても写真の本質は氏にとってずっと変わらなかったのだとおもいます。以後全ての作品の原点のような。

グラスの写真は「波の絵、波の話」のなかでも印象に残る写真だとおもいます。このような写真はいつも演出はせず、何枚も撮らず、呼吸のように撮っていたようにおもいます。ヌードも多くとっていました。このように写真のある風景として写真を撮るということをよくやっていました。ポラロイドに水滴をつけていますが他にも砂浜において砂と一緒とか、額裝して花と一緒にとか。油をたらしてなど。自分の写真もですが、ときには他の写真家の写真集やポストカードをつかってみたりとか。大丈夫ですか、いいんでしょうか?と聞くと、「いいんだよ。これも風景だから」と嬉しそうに笑いながら撮影されていました。
絵の額裝の一部やガラスに貼られたピンナップ越しの写真も稲越流なのだなとおもいます。わたしなどが真似をしても、全く写真にならないと思っています。

6枚目は1984の個展「MANHATTAN」のカードになった写真で当時自分にとってはあまりにも斬新なフレーミングに唖然とした記憶があります。いま考えても大変に影響を受けた写真です。

波のシリーズは花と並び、氏のライフワークのひとつでした。国内外を問わず、ロケ先でビーチの近くの宿にいると、早朝のすこしの時間、波ばかり撮っていたこともありました。
靴やズボンもずぶぬれで朝食という感じです。そういえばモードラの連写でなく手巻きで一枚一枚を撮っていたように思います。

村上さんの小説表紙に使われた写真。海外の美術館でも多く撮っていたと思います。たぶん作品を観ていると同時に風景としても視ておられたのだと思います。こんなこともありました。パリの街をロケハンしていたとき、急に空が真っ黒になり夕日が射してものすごい虹がセーヌにかかったのですぐにカメラをわたそうとすると、「これを撮っても稲越の写真じゃないんだよ。君が撮りなさい。」といって日本の新聞をゆっくり読んでおられました。
そのときの話でもうひとつ思い出しました。何日も続けてロケハンをやっているとき、ある日の昼食でワインをとってその後車のなかで寝入ってしまわれ、ガイドの方も困惑気味で走っていました。しばらくのあとおもむろに起きたかとおもうとすぐに車を停めてカメラをもってそこらを撮りまくっておられました。それでおもったことはもう何度も観ておられた場所をより深く自分の感覚に入れ込むということだったのかと思いました。ただ必死で見る事のみじゃないんだと。土地をまるごと自分にいれこんでいくような感じといいますか。

花の撮影も常時やっていました。オフィスにおく花もそうですが、いつもNGの連続で何回となく買い直していました。白い花のOKが多かったように思います。
写真は自然光で撮る事が多かったように思います。ただ鏡の反射やビニールを使ってのの拡散、レフをつかって微妙な光をつくって撮っていました。
初めて露出を任され、ファインダーをみせてもらったときに自分が考えていたフレーミングとのあまりにもの差に驚いたことがありました。これはこのように撮るだろうとおもって測っているのですが全く観ている視点が違う。 うまく言えませんが、対象を観るというより対象のあり方を観ているというか、もっと言えば稲越にはこう観えているというか。
そんな印象をうけました。後輩にこの話をしたとき、同じようなことを感じたことがあると聞き、妙な納得をしました。

中国のシリーズは自分は直接の関係ではないですが、86年頃に初めて氏とふたりで上海に撮影にいかせてもらいました。
仕事の撮影ではなく全くの作品撮影でしたが、帰ってきて仕上がりを見てセレクトに臨んだとき、全体に明るいと言われました。
それでも淡々と写真を選ばれている氏の姿は今も忘れられません。多少の露出のことなど自分の写真の本質にかかわらないというような印象。これは全くの自己弁護でしかありませんが。今でこそ調整ということもできますが、当時はそんな感じでした。

写真の教科書にもある、絞り値、シャッター値、フィルム感度などを越えているところを教えてもらったように思っています。
もちろんそれ以前の対象に対する理解や、撮る人間のあり方も含めて写真ということがあるのではないのかとおもいます。
いまだそのようなところまで到るにおよびませんが、すこしでも自分の表現が伝わるようにと臨むのみです。
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